島は心の学校


間が空いてしまいました。

前に一度書こうとしてまだ書いていなかったことをつらつらと。

小笠原に限らずなのですが、どうして人は島が好きなんでしょうか?

海の向こうにあるから遠い場所へのあこがれを催させるから?

空と海が交差する場所にぽかっと現れる存在に、夢の国を見るような気持ちがするから?

じゃあお前はどうなんだと言われると、これが、言葉にするのは本当に難しい。

仕事柄、そういうことを聞かれる機会も多いので「島は海という空間で隔離された場所なので、そこにある昔からの知恵や文化がそのまま残っているから」とか、「島は地球と同じ、海という空間に囲まれて漂う惑星と同じだから、島は地球のモデルになる」とかいろいろ話していて、それはもちろん嘘では無いのですが、どっちかというと左脳的な説明です。

私が本当に小笠原はじめ島に引きつけられるのは、特に男の人に聞かれたときに納得されるような答えではありません(なぜか男性は、理屈が勝った説明をしないと納得しないみたいです)、海があり、緑があるという安らぎ感もあるけれど、素の自分をさらけ出せるような安心感を与えてくれるからというのが一番近いかもしれません。

まあ、通常、社会の中で生きていれば誰にでも無防備に真の自分を出せるわけでもありません。私は繕う方が苦手なので、すぐに本音を出してしまって楽したいタイプですが、島ではさらに本性丸出しというか、生のまま、素のままの自分でいられます。

 

これは私に限ったことではありません。

もう20年前ぐらいですが、ウェザーステーションで、内地でだったら絶対接点が無い本物のヤンキーと人生について語り合ったことがありますが、彼等の顔は大変に穏やかで、語る言葉もとても素直だったので、悪そうなのに実は単なる「いいやつ」であることに拍子抜けしたりします。

きっと彼等も自分のフィールドでは精一杯の鎧を身につけていることでしょう(まあ、小笠原に来ている時点でヤンキーの中でも変わり者だと言うことは言えると思いますが・(笑))。

 

ということで「ここでは自分らしく生きられる!」と思った旅行者がその後、住民となって島にやってくるということは結構あります。

そういう人を何人も見ています。

ある人は男性、ある人は女性、夫婦だったり一人だったりいろいろ。内地で行きづらさを抱え、傷ついたり、あるいは理不尽なことに耐えられなかったりというような何かしらの「傷」を抱えているように見える人が多いです。

 

そして、みんなすごく自分の過去のことを語ります。

いかに、今まで生きづらかったか。島に来て、いかに救われたか。初めて会った人にも目をキラキラさせて能弁に語ります。

 

私は小笠原と出会って24年、住んだのはほんの少しですが、そういうガラスのような、傷つきやすい人たちが島で傷を癒やしていくのをたくさん見てきました。その様子を見ていると、島は心の学校みたいだなあ、と思うのです。

 

住んでみれば島だっていろんな人がいる集合体なので、必ずしも最初に感じたような開放感や優しさだけに触れて生活していくことはできません。むしろ、人間同士の距離が物理的にも精神的にも近いだけに、人から悪意や敵意をもらったときの衝撃は内地の比ではありません。

 

でも、内地ではうまくいかなかったコミュニケーションや対処の仕方をその社会の中で学び、自分で自分を支える気力がやがてできてくる。

そうなると、こういう人は島を卒業していくのです。

そして、ほとんどの人は島に戻ってこないし、縁が切れてしまうように思います。

 

島で息吹を吹き込んでもらい、身も心も整えてまた戻っていく。島は学校みたいに、たくさんの学びを人にくれます。

大勢の人が何かを抱えて島にやってきて、島はそのすべてを受け止めて、新しい視点や考え方をその風や海や山から教えます。

人が抱えていた重い気持ちとか、汚濁とかは全部島の風や波が消し去ってしまいます。

良くマッサージ師はたくさんの人の肌に直接触れるから、悪い「気」まで受け取ってしまうという話を聞きますが、島はそんなことはありません。

受け取った重い気持ちや汚濁は全部受け止めて、風と波が消し去っていきます。

島はずーっとそういうことをしてきたから、人間の気持ちの重さとか悩みなんて何とも思ってません。

 

私もずいぶん島に助けてもらってきました。

島は今の自分を受け止めてくれる、そんなことを無意識に感じ取る人間が、うまく言えないけど島が好き、という人間なのかもしれません。